即ち前漢書地理志の樂浪海中有[#二]倭人[#一]。分[#二]百餘國[#一]。とあるを、若し日本とせば百餘國とするは疑ふべしといひ、又魏志の在[#二]帶方東南海中[#一]。依[#二]山島[#一]爲[#レ]國。度[#レ]海千里。復有[#レ]國。皆倭種。とあるを、若し日本とするときは、上に所謂樂浪海中百餘國とある倭人は何れの國を指すやといひ、韻書に倭を以て女王國の名と爲す、蓋し天照大神を地神の首として、此國の主たり、故に之を女王國の名と謂ふか、然るときは凡そ此國の人民は皆其種其奴たるのみ、但し海を度ること千里の語は、樂浪海中の倭と倭種の國と異あるに似たり、未だ疑を決せざるのみといへり。此れ樂浪海中の倭と海を度ること千里の東に在る倭種の國と、何れか果して日本なりやを疑ひ、并せて女王の名が天照大神に本づくにあらざるかを疑へるなり。[#ここから割り注]善隣國寶記に此疑あることは鶴峰戊申の襲國僞僭考にも摘出せり[#ここで割り注終わり]
然るに元禄年間、松下見林が其の名著、異稱日本傳を作りし時は、後漢書、三國志の所謂卑彌呼を全く神功皇后の舊説のまゝに信じて、少しも疑ふ所なき者の如くなりき。
此の從
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