[#(ノ)]郡尾張[#(ノ)]大國靈神社、遠江[#(ノ)]國磐田[#(ノ)]郡淡海[#(ノ)]國玉[#(ノ)]神社、能登[#(ノ)]國能登[#(ノ)]郡能登[#(ノ)]生國玉比古[#(ノ)]神社、對馬上[#(ツ)]縣[#(ノ)]郡島[#(ノ)]大國魂神社など各其國處に經營の功徳ありし神を如此申して祀れるなり、右の外にも國々に國玉[#(ノ)]神社大國玉[#(ノ)]神社と云多し皆同じといへり。[#ここから割り注]傳卷九[#ここで割り注終わり]是にて大かたは釋き得たりと思はるれど更に一證の擧ぐべき者あり、新撰龜相記[#ここから割り注]友人富岡謙藏氏が井上頼國博士の藏本より傳鈔せる者によれり井上本は吉田家の祕書を寫せる者なりと云ふ[#ここで割り注終わり]に今祭[#二]卜部坊[#一]櫛間智神社とありて其の注に母鹿木《ハハカキノ》神社也、一云[#(ク)]櫛玉命とあり。されば間智《マチ》といへる語と玉といへるとは同義なることを知るを得べし。間智は宇麻志麻遲命の麻遲に同じく、荒木田守良が鹿龜雜誌[#ここから割り注]富岡氏藏本[#ここで割り注終わり]に麻遲の名の古書に見えたるを擧げて、宇麻志麻遲命の外に神名帳の遠江國佐野郡|己等能麻知《コトノマチ》神社、近江國高島郡麻知神社、及び中臣壽詞に麻知[#(波)]弱韮[#(仁)]由都篁生出[#(牟)]とあるを引き、其の釋義は明かならずといへり。意ふに是れ亦大名持、大穴牟遲、大己貴の持、牟遲、貴及び神功紀五年に見えたる新羅人、富羅母智の母智と同じく、韓語にては上の義なること、此の富羅母智に當るべき人を、三國史記には朴堤上とし、三國遺事には金堤上とし、いづれも母智が上の義なることを推すに足るが上に、訓蒙字會には上を matai と訓じ、恰かも我が古書が貴をムチと訓むに當れるに徴しても知るを得べく、かくてタマ即ち多模も亦上、貴の義にて地方君長の尊稱と解することを得べし。本居氏が布刀玉命を釋して、特に玉を手向の義としたるは、穿鑿に過ぎたり。[#ここから割り注]古事記傳八[#ここで割り注終わり]
彌彌、彌彌那利 彌彌は天忍穗耳、神八井耳、手研耳などの耳と同じかるべし。古事記傳卷七に、天忍穗耳命の名義を釋して、耳は尊稱なり(耳字はもとより借字)下に布帝耳《フテミミノ》神と云あり、又神武天皇の御子たちに某耳《ナニミミ》と申す多く、其外の人名にも多かる、皆
前へ
次へ
全37ページ中22ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング