子學派の本である通鑑綱目といふやうなものは、當時支那でどれ程流行したか分りませんから、それが日本に來て親房が見られたかどうかといふことは疑問ですが、兎に角宋の時代に朱子學が發達すると同時に正統論といふものが歴史の上においてよほど大事な事になつたのは確かであります。それを承知して居つたので本の名前も神皇正統記といふ風にしたのであらうと思ひます。是は決して想像ばかりではなく、兩方の時代を比較し、内容を較べて見ると、さうあるべき筈だと思ひます。
 さういふ次第でありまして、凡ての事が革新の機運を持つて居つたのでありますが、天子としてはすでに大覺寺統の後醍醐天皇のみならず、持明院統の花園天皇なども入らせられ、それに仕へた所の有力なる公家達にも亦さういふ風な氣分を持つた人が相當あつたやうであります。私はあの時分の人物としては日野資朝といふ人が大變好きです、尤もこれは若い時分好きだつたのですから、老人の今となつて若手の偉い人が好きだと言つても少し年寄の冷水のやうな嫌がありますが、とにかく日本であれ位痛快な人物はないと思ふ位であります。是が其の當時玄惠法印に新しい學問を受け、又禪學をもした人で、のみ
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