それで前漢末までに其の效果が段々現れて來て、他の部分の例は暫く置くが、支那の東北に當る地方に於て、既に夫餘國の出現を見、又王莽時代に於いては高句麗國の出現を見たが、多分※[#「さんずい+歳」、第3水準1−87−24]國なども其の當時に於いて形造られつゝあつたに相違ない。朝鮮南部に於ける倭民族及び韓民族は當時猶數十の部落に分れて居つた樣であるけれども、後漢に至つて馬韓、辰韓等は漸く統一に傾ける事がわかる。漢書地理志の云ふ所に依れば、最初是等の國々は、皆住民は土着民族で、其の統治者は漢人であつて、高句麗若しくは三韓の一部分の如きは、明かに漢の郡縣と認められて居る土地に、既に土着民族中に、一種の統治者を出したので、王莽時代の高句麗侯、漢の封爵を受けて居る※[#「さんずい+歳」、第3水準1−87−24]王等は即ち其の實例である。斯の如き状勢は、當時に於いて日本にも波及しないとは想像し得られない。但し日本は海外にあつたが爲め、漢書にも樂浪の海中に倭人あることを説いて居つて、高句麗、※[#「さんずい+歳」、第3水準1−87−24]、韓諸國の如く、漢の郡縣となつたのではないけれども、已に朝鮮の海上を
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