並に史が勝手に扱へる統治機關を明確なる自覺に依つて自ら之を總攬するに至つたのである。右樣な状態なるが故に、日本は海中に孤立して居ても、其の國力の強盛、人民の智能の發達も、既に三韓諸國等の上にあつたので、決して三韓の文化を輸入したが爲め、日本の發達を促したと云ふが如きことはない、永い間の支那文化の感化に依つて適宜に國家の成立を致す樣になつたので、寧ろ斯の如く國家が強盛であつたが爲めに、高句麗よりかも、百濟、新羅よりかも、書契の採用が遲れたと解すべきである。
大體に於いて自分の日本上古の状態に關する考は右の如きものであつて、之を一々文獻其の他に依り證據立てることは必ずしも難き事でないが、それは又他日に讓り、茲には其の輪郭だけを述べたのである。
[#地から1字上げ](大正八年二月「歴史と地理」)
底本:「内藤湖南全集 第九卷」筑摩書房
1969(昭和44)年4月10日発行
1976(昭和51)年10月10日第3刷
底本の親本:「増訂日本文化史研究」弘文堂
1930(昭和5)年11月発行
初出:「歴史と地理」
1919(大正8)年2月
※底本は、物を数える際や地
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