ついて多く用ゐたる、自分の肖像と言ふ意味の「陋容」「陋質」と言ふ語の如き、禪家以外の宋代の士大夫も之を用ゐたり。士大夫の家には又影堂といふものありて、そこに於て祖先を禮拜せしことなるが、これに祠る所の影は即ち肖像にして、之を作るについて、男子は生前に既に之を畫くを得れども、婦人は生きて居る時にてさへ他人に面を見せざる風俗なるを以て、死後其顏に當て居る帛を取りて、寫生の料とすることは禮に適はずとせる程の議論ありし事は、司馬温公の『書儀』にも見え、士大夫みな影堂及影像を有することが當代の習慣にて、それが禪宗にも及びしに過ぎず。禪家に特別に肖像畫が盛なりしといふ事實は少しも無し。大體、宋代の繪畫は、これを全體より通論するも、人物畫の盛なりし時には非ず、人物畫の盛期は既に唐代に於て通過したり。是れ支那藝術一般の傾向より考ふるも明かにして、唐代までは彫刻大いに行はれしも、宋代以後には頗る衰へたり。彫刻の衰ふることは人物畫の衰ふることゝ密接の關係を有し、人物畫の衰ふることは又肖像畫の衰ふることゝ大關係あり。宋代の如く山水畫の發達せし時代に、肖像畫が衰へて類型的となりしことは、又自然の數なり。ただ支
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