を置いたといふことが既に日本人の頭としては非常にえらいことであります。その外に宗教・道徳に國民性の區別があり、時代相の區別があると、あらゆる點に注意して居ります。これが我々の非常に尊敬する所以であつて、恐らく日本が生み出した第一流の天才の一人であると言つても差支ないと思ふのであります。
家系と其の攷學
私はこの天才は大阪が生んだ人だといふことを簡單に附け加へたいと思ひます。其處に出してございます拓本の中、一番最初が富永のお祖父さんお祖母さんの碑であつて、徳通といふのが仲基の親であります。この「翁の文」の序文などから考へますると、ヒヨツとするとこの人の先祖は播州から出たのではないかと考へられます。播州といふ處は妙に大阪に於ける町人學者を多數出しまして、私がやはり嘗て懷徳堂で講演しました山片蟠桃といふ人も播州の出身であります。富永の先祖も播州から出たのではなからうかと思ふのであります。父からは既に大阪に住まつて、仲基は大阪に生れた生粹の大阪つ子に相違ないのであります。この人には兄弟がありまして、其處にある毅齋居士といふのがその兄であります。それは腹違ひの兄弟で、母の碑文
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