の文」に特別なこの人の意見が現はれて居る所は、學説に時代があるといふことを説いて居る點であります。昔大變效能のあつた宗教なり禮儀なりも、今日では役に立たないものであるといふ、中々新しい考へであります。これは單に宗教・道徳に國民性が在るばかりでなしに、國民性の外に時代相があるといふことです。近頃時代錯誤といふことを申しますが、そんなことは富永が今から百八十年程前に考へて居りました。それで今日の我々には今日に相當した「誠の道」といふものがあるべき筈であると、斯ういふ事を考へましたので、それで神道・佛教・儒教この三つの外に誠の道といふものがなければならぬ、それが即ち今日實際に役に立つべき所の道徳であるべきであると、斯ういふことを言ひました。これが「翁の文」の大意であります。つまり國民性は時代によつて地方によつて變る、時代によつて學説が變つて來るから、時代によつて相當の學説があるといふことを考へて居ります。今まで富永の議論で知られて居ることは、先づそれだけと言つて宜しいのであります。極く簡單でありますけれども、それだけで隨分この人の卓見といふものが出て居ります。
 學問上の研究方法に論理的基礎
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