しなければ日本人には入らない。支那の文でも、非常な細かい、文飾が煩はしくては日本には行はれない。日本人にはそれをもつと簡單に手つ取り早くしなければならぬ、と斯ういふことを言つて居ります。これは尤も富永自身の發明ではないと言つて居ります。支那の隋に文中子といふ人がありまして、佛教は西方の聖人の教へである、之を支那に行はんとすると泥む、そこに拘泥することになつて來る、支那にはその儘行はれにくいと文中子が言つて居ります。それを富永が引いて居ります。それから富永は支那と日本との比較を考へて、兎も角各國民には國民性があるから、國民性によつて宗教といふものが成立つのであるといふことを考へました。此等は今日から觀ると非常な卓見と謂はなければならない。まだいろ/\のことがありますけれども、先づこれが「出定後語」の大體であります。
支那學研究の原則と神道の批判――「説蔽」・「翁の文」
その外に、富永仲基に「説蔽」といふ、これは儒教を攻撃したと言はれて居る本がありますが、その内容は今はよく分りませぬ。しかし「翁の文」といふ本が現はれて來て「説蔽」の中にどういふ事が書いてあるかといふこと
前へ
次へ
全42ページ中30ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング