からだ、さういふ二つの意味を言つて居るが、これが偈頌といふ韻文の出て來た所以である。昔の經典の言葉は、覺え易く、耳に入り易くするために皆偈頌で書いた、それを後に解釋するために長行が出來たのであると申しましたが、これだけは何人でも考へ得ることでありますが、富永はこれは支那でも日本でも同樣だといふことを考へた。支那でも詩經は勿論、書經の中にも韻文がある。易經・老子さういふ古い本には皆韻文がある。それは印度の偈頌と同じやうに、韻文といふものは、學問するものが望むからと、記憶し易いからである。日本でも古い語り傳へなどには、何か一種の音節があつて、その音節によつて覺える。例へば祝詞には皆一つの調子があつて、その調子によつて覺えよく出來て居ります。さういふことは原始時代に皆覺え易いために出來たものであつて、昔の本は皆さうである。さういふ風にして之を暗誦して居つたのが、即ち偈頌の出來る所以、それから後に長行が出來たのであつて、印度でもさういふ順序で發達して居るに違ひないから、律でも經でも論でも、最初からあつたに違ひない。お釋迦さんの書いたものが經で、菩薩の書いたものが論だといふ區別は、それは後から勝
前へ 次へ
全42ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング