りだと屡※[#二の字点、1−2−22]書いてあります。それで支那の佛教に、玄弉三藏の飜譯とその以前の飜譯とによつて舊譯新譯の區別がありまして、舊譯が不確かで間違で、新譯の方が確かであるといふが、これは單に意味ばかりでなく、そのサンスクリツトの音を支那の文字に當て嵌めるについても、例へば坊さんのことを舊譯では比丘と書いてありますが、新譯の方では※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]芻としてある、それで※[#「くさかんむり/必」、第3水準1−90−74]芻といふのが正しくて、比丘といふ字を當てたのは誤りである、斯ういふやうに申しますが、富永は、その舊譯を皆誤りといふ譯にはいかない、印度といふ國は言葉の國である、言葉といふものは時代によつて段々違つて來る、發音も違つて來れば意味も違つて來る、その違つた時代に支那で之を飜譯したのである。支那で佛教を最初に飜譯した時と玄弉三藏の時とは、既に數百年も經て居りますから、その間に印度の元の言葉にも、音の變化もあれば意味の變化もある。それでさういふ風に時代によつて言葉が變つて來るのであるから、それを知らなければ研究の方法を誤るといふことを考
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