はお釋迦さんの説を弟子の菩薩達が之を説かれたもの、「律」といふのは、これはお釋迦さんの定められた戒律即ち「おきて」でありますから、道徳上の規定であります。その上にこの經律論を解釋する「釋」といふものがあつて、その説を傳へる人が更に解釋したのであるといふ、それでその出來た前後の關係を説明するが、富永はさうでないと申しました。お釋迦さんの當時から經も律も論もあつてちつとも差支ないのである。それは論の中にも偈頌と長行とがある。偈といふのは、意味を大變簡單に約めて、詩とか歌といふ具合で韻文にまとめて書いたもので、長行といふのは、これは韻文の意味を細かく解釋して、さうしてそれを分り易く演べて書いたものであります。この偈頌と長行とは、論部にも毎に出てゐます。先づ短い四句偈・八句偈・十句偈があつて、その次に意味を演べて書いた長行があります。それで何のために偈頌を作つたかといふことについて、佛教の方では、その由來を八つの意味に説いてありますが、その中第五と第六とが眞の意味だと富永は申してゐます。第五は、この偈を韻文にして讀み易くしたのは、それは皆んなが韻文であることを望むからと、第六は韻文だと覺え易いからだ、さういふ二つの意味を言つて居るが、これが偈頌といふ韻文の出て來た所以である。昔の經典の言葉は、覺え易く、耳に入り易くするために皆偈頌で書いた、それを後に解釋するために長行が出來たのであると申しましたが、これだけは何人でも考へ得ることでありますが、富永はこれは支那でも日本でも同樣だといふことを考へた。支那でも詩經は勿論、書經の中にも韻文がある。易經・老子さういふ古い本には皆韻文がある。それは印度の偈頌と同じやうに、韻文といふものは、學問するものが望むからと、記憶し易いからである。日本でも古い語り傳へなどには、何か一種の音節があつて、その音節によつて覺える。例へば祝詞には皆一つの調子があつて、その調子によつて覺えよく出來て居ります。さういふことは原始時代に皆覺え易いために出來たものであつて、昔の本は皆さうである。さういふ風にして之を暗誦して居つたのが、即ち偈頌の出來る所以、それから後に長行が出來たのであつて、印度でもさういふ順序で發達して居るに違ひないから、律でも經でも論でも、最初からあつたに違ひない。お釋迦さんの書いたものが經で、菩薩の書いたものが論だといふ區別は、それは後から勝
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