法の事をしたのか、それとも前から自分の本に思をかけてゐて、自分の本を奪ふつもりであつたのか、但し本が失くなつても藏書志が出來たら幸である」と書いてゐる。張金吾は不幸にも其翌年最愛の妻を失つた。張金吾は元來相當の財産を持つてゐたが、これらの事ですつかり貧乏になり、妻を失つた翌々年自分も到頭夭死をしたが、妻を失つた後は手づから金剛經を寫して、半年以上も日々それを讀誦してゐたが、間もなく自分も沒したのである。
 藏書家の中で張金吾は最も晩年不幸になつた一人であるが、大體藏書家といふ者は、自ら好んで讀み、且蒐める人に限りて、支那でも數代相續した人の殆どないといふ事、それから又讀みもしない藏書家は、却て數代相續してゐるといふ事は、一種の非常なる皮肉なことである。併し前にも言つた如く、支那人は自分の好むところを滿足しさへすれば、そのために財産を失はうが、晩年藏書が散亂しようが、そんなことを豫め考へずに、全力をつくして集め、藏書志を作り、或は又善本を飜刻し、藏書の效力を後世に貽すといふ事は、むしろ藏書家としての本望に叶つた事かも知れぬ。かういふ不思議の趣味は、近代の支那に於て發達したところであるが、
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