れてゐる。ところが此人にとりて最も不運な事は、その藏書志が出來上つたのは四十一の年であるが、其前年に悉く其藏書を失ふことになつたことである。それは從子の張渙といふ者が張金吾に貸した金があるといふので、其の藏書十萬四千卷を盡く取上げてしまつたことである。張金吾はこの事を非常に悲しんで、「二十年間蒐めるに骨を折つて、散ずる時は全く一日一夜で失くしてしまつた、雲煙過眼遂にかくの如く速かなり」と言つた。そして「從來藏書家で水火の難に遇つた者もあり、兵亂に失つた者もあり、子孫が守ることが出來ずに、鼠穴蠹腹に失つた者もある。併し泥棒に強奪され、しかもそれが自分の親類から斯くの如き不心得の者の出たといふ事は、古來嘗て聞かぬことである。併しこの書籍の集散は常であつて、達觀者は必ずしも斯ういふ事を心にかけない。況や書目を作つて後世に傳へてをれば、その散じた書も矢張自分の書と同じ事だ。自分の目前にあつて、人の手にあるも自分の手にあるも、そんな事はかまはない。唯自分の從子の張渙は、本も讀み、詩文も作り、自分の土地でも自分の家は讀書家といはれ、從子も其中で眞面目な者といはれてゐたのに、どうしてこんな驚くべき無
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