かに解し得るのであるが、其外、織成、刺納等の如きも、實物について見れば、其の織法《おりかた》を知ることが出來ようと思ふ。
 織成に就いての支那人の解釋では、錦と織成とを別けて、昔の織物は厚※[#「糸+曾」、第3水準1−90−21]を地として別に五彩の絲でそれに文樣を織る。其の素地のものを素錦と謂ひ、朱地のものを朱錦と謂ひ、其の地の無いものを織成と謂ふというて、錦と織成とを織法《おりかた》に據つて別けて居るが、然し又一方には錦といふ字の解釋として、今日の説文解字には、
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錦。襄邑織文也。
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とあつて、即ち襄邑から出る織文だとしてあり、これに參考になる文としては、續漢書輿服志に襄邑より年々織成虎文を獻ずと書いてある所を見れば、織文は織成と同じ意味である樣にも聞える。其の上、大平御覽に説文を引いた所では、此の錦は襄邑の織文なりといふ文を襄邑織成也と書いてある。尤も大平御覽に載つて居る織成の分には、今日で謂ふモウルを金縷織成など云つて居るから、唐の時代には錦と織成とは既に別々になつて居つたのかも知れない。兎も角時代によりて詞の意味に差異が出來てくる
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