しめる。今日になれば、既に其のリンズ、サヤ、といふものさへも、既に古代織物の一部分に入つてしまつたのであるから、此等當時の必要からつけられた名稱も、今日では歴史的の名稱となつて來た、其の間に織物の名稱の變遷を研究する材料となつて來るのである。
斯の如く、日本にありて支那織物を研究するには、二重の手數をかける必要があるのであるが、其の代りに、名目の考へ方が歴史的に綿密になつて來る所から、却つて又た、支那人の如く緞子を古代から存在するものと考へ、織成の名稱にも歴史的の變遷あることを忘れる樣な誤りは自然に尠くなるのであるから、案外日本に於て研究するが爲に良好な成績を擧げ得るかも知れない。殊に正倉院其の他の如き古代の寶庫が存在し、宋代以後は茶人に依りて切《きれ》が保存せられたるが爲に、大きな分量のものが尠くても、種類を多く保存して居ることは、支那其の他の原産地にも勝つて居ると思ふ。其の點は古代織物を研究するに就いて、日本が或は最も便利な土地であるかも知れない。此の研究上の便利を、將來大に利用せられんことを希望するのである。
[#地から1字上げ](大正十三年一月十九日古代織物學會講演、同十四年
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