つて、恐らく實物も同じものであつたらうかと判斷する事の出來るものが尠からずある。例へば綺の如きは釋名に、
[#ここから2字下げ]
綺。※[#「奇+支」、第4水準2−13−65]也。其文※[#「奇+支」、第4水準2−13−65]邪。不順經緯之縱横也。
[#ここで字下げ終わり]
とあるが、今日古い卷物の紐などに綺帶と稱して遺つて居るものは即ちこの織法《おりかた》で、ハスカヒな文樣が現はれて、經緯の絲の通りに通らさないものが存在して居る。それで漢代の綺と稱したものも唐代の綺と大體同じであらうと考へられるのである。又綾については釋名に、
[#ここから2字下げ]
綾。凌也。其文望之如冰凌之理也。
[#ここで字下げ終わり]
とあるが、即ち其の文樣が氷柱《つらゝ》などの如くなつて居るのであらうから、此が唐の時代に我邦に渡つて、平安朝頃迄盛に使用せられた綾地切と稱するものと同じであらうと想像される。又説文解字に※[#「糸+兼」、第3水準1−90−17]といふ字があつて、并絲※[#「糸+曾」、第3水準1−90−21]也と解釋してあるが、此等は絹本の宋元畫などに二本の絲を一所に織り込んだ切《きれ》が存して居るが、漢の時の※[#「糸+兼」、第3水準1−90−17]もやはり斯の如き種類であつたらうかと考へられるのである。
斯の如き方法で、實物がなくても、いくらか後世の實物からして想像し得られるものは漢代から既にあるのであつて、矧んや六朝頃のものになると、唐代のものと全く種類の變らぬものが多く出て來たのであるから、顧野王の玉篇などに載つて居る織物から以後は大體實物を想像し得られる。玉篇は顧野王の原本の存在して居るのは全體の半分にも足りないが、幸にも絲の部は原本が存在して居り、それから又た日本で作つた祕府略は、前田侯爵家に殘つて居る本が幸にも錦繍の部分であり、大平御覽などにも、唐以前六朝頃迄の古書を多く布帛の部に引用してあるので、それに依つて唐代以後の實物と對照して研究することが出來るのである。
その次は唐の時代であるが、此は前にも述ぶる如く、祕府略、大平御覽の如き書籍は勿論の事、最も文獻と實物との對照に有力なのは、例へば東大寺獻物帳の如き書籍を正倉院に存する實物と引き合はせることである。此の獻物帳の中には隨分種々な織物染物の名稱が出て居る。例へば織物としては前に擧げた錦、綾、綺の如きは明
前へ
次へ
全8ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング