の一例を謂へば
[#天から2字下げ]使持節都督倭百濟新羅任那秦韓慕韓六國諸軍事安東大將軍倭國王
などと謂ふものがあるが、此等も多分日本から任那に派遣せられて居る太宰《みこともち》が朝廷の名を濫用したのであらうなどとも解釋せられて居る。しかし事實は必しもさうではないのであつて、上に擧げた長い官爵名でも、なか/\細かに考へると面白い事實が發見せられるので、日本から稱する時には前に謂ふが如く倭百濟新羅任那秦韓慕韓六國諸軍事と稱するが、支那の南朝の方から與へる時には百濟を除いて倭新羅任那伽羅秦韓慕韓六國諸軍事と稱して居る。之は當時百濟王は日本を經ずして直接に南朝に交通して居つたので、南朝ではそれをば別に百濟王に封じて居るから、日本の方には百濟を入れなかつたのである。斯の如きことは任那の太宰では爲し得べきことではないと考へられる。勿論斯の如き記事が有つたからと謂つて、日本が當時支那の屬國だと謂ふことにはならない。
 當時の外交は一種特別の事情があるので、日本の朝廷が海外と交通する時に、其の使者の職を承はる者は何時《いつ》でも支那若しくは朝鮮の歸化人である。最も古い卑彌呼時代でも新羅の歸化人が使者
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