、これは其學派の發生した時より其發展の停止する時まで絶えず行はれてゐたものである。それでいづれかといへば九流諸子のごとく學派の發展が早く停止したものは、漢初までに其書籍の附加竄亂が止まつたのであるけれども、長く發展の繼續した儒家の六藝の如きは、却つて其移動が其後までも繼續したと見られ得るのである。現に尚書の如きは今日まで古文今文の議論が盛んに繼續してゐて、經學者多數の考は、假令古文を僞作とする者でも、その僞古文と今文との間には明かに限界を設けてあるが、其今文に關しては何等の疑を挾まないことになつて居り、所謂梅氏古文が出來ない前には、尚書には變化が無かつたやうに考へて居る。しかし實は伏生以後、兩漢の間も、尚書の本文に絶えず移動があつて、即ち漢書藝文志や王充論衡などの言ふ所によるも、其間に脱簡の補充もあれば、所謂眞古文の出現もあり、殊に其意義の解釋に至つては今文派と眞古文派との間に相違あり、今文派の中に在りても歐陽大小夏侯などの間に亦相違あることは一般に認めらるゝ所である。又梅氏古文が出來た以後にも唐初五經正義が出來るまでの間には又變化あり、姚方興の舜典二十八字の増加の如き、幾多の議論を經
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