次に魯頌が編次せられてゐる事は、即ち孔子の所謂東周を爲すの思想を代表せる如く見ゆるのであつて、尚書に於ても其意味から言へば費誓で終るのが當然である。費誓は周公の子の伯禽が徐淮の夷を征伐したことを書いたもので、當時楚の國の如き夷狄の盛になつたものに對して膺懲の意を寓したものであるから、之を以て尚書の終とすることは、恐らく孔門に於ける最初の思想を代表するものと看て可からう。而して其後儒家が魏に用ゐられ、齊に用ゐられ、秦に用ゐらるゝに及んで、段々之に附け加へが出來たのが即ち今日現存する尚書の形であらう。殊に甫刑の如きは異つた觀察點から看ても、小島君の言ふ如く齊國で作られたものと見られるので、予の結論に一致することになるのは、尚書の編成の研究に有力なる資料を増すものと謂つて可い。
 さて又古書の多くは其の附加竄入のあることを豫期して觀察すれば、其末尾に附加されることが多いと同時に、首端に於ても亦附加せらるべきことを想像し得られる。そこで次に予が提供したい疑問は尚書の卷首の方の部分で、即ち堯典より洪範に至る各篇である。是も劉逢祿の考へた如く詩と比較すれば、そこに一の觀察點を見出すことができる。詩
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