誓をも除いて、而して其除いた諸篇の代りに逸周書の中から蔡公解、※[#「くさかんむり/内」、第3水準1−90−67]良夫解などを拔き出して之を甫刑の後に補つて、而して
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案※[#「くさかんむり/内」、第3水準1−90−67]良夫之詩、夫子既取入大雅矣、此篇斷無不見之理、且其忠告憂勤、※[#「亠/(「覺」の「爻」に代えて「同」、「見」に代えて「且」)、第4水準2−1−20]々乎成康周召之遺、與無逸君※[#「爽」の二つの「爻」に変えて「百」、第3水準1−15−74]相表裏、視蔡仲之命文侯之命、不可同年而語、不此之取而取彼何哉、即秦誓亦一時悔※[#「肴+殳」、第4水準2−78−4]之敗、而三次報復、濟河焚舟、顯存王覇之分、且時代亦遠在西周之後、何爲殿彼不殿此耶、此皆不可解者、姑附諸穆王之後、以雪僞古文之憾[#ここから割り注]書古微十二[#ここで割り注終わり]
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と言つてゐる。兎も角公羊學派の人々は尚書の末尾に費誓以下、甫刑、文侯之命、秦誓の諸篇のあることを重大なる疑問と考へたことは疑ない。尤公羊學派は僞古文を斥けず、それ故宋翔鳳は此外に蔡仲之命をも
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