居つた女眞で、主に今の松花江沿岸地方に居たのである。非生非熟女眞はその南方にいて、即ち松花江の支源に當る輝發江の沿岸に居た者をいふのである。熟女眞といふのは、契丹の太祖阿保機時代に、女眞が寇をすることを恐れて、女眞の豪族數千家を分けて遼陽の南方に置いた。即ち今の滿洲の復州・岫巖地方に當る處に置いたので、之を合蘇※[#「肄」の「聿」に代えて「欠」、第3水準1−86−31]とも曷蘇館とも稱して居た。曷蘇館といふのは、滿洲語で藩籬といふ意味に當ると云はれ、契丹人が生女眞を防禦する藩籬として之を用ひたのだと云はれてゐる。
生女眞は騎射が非常に上手で、地が方千餘里、戸數が十餘萬あり、それが皆山谷の間に住居してゐると云はれてゐるが、曷蘇館といふのは契丹に歸化した所の女眞人であるけれども、其生活の爲方はやはり生女眞と同樣であつて、遼陽以南の土地に遷されてからも、依然として山谷に住居して居つたらしい。
此の女眞人が生熟二種族に分れたのは以上の如き因縁で、是は當時相應の文化を有し、文字をも使用してゐた契丹の所傳であるから、正確であるに相違ない。
然るに此の女眞人が後になつて金國を興した時に、生熟女
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