究はして居りませんです。
 ともかくさういふ次第でありまして、先づその中で五誥といふやうなものは、傳來して居る支那の記録としては最も確かなものではないかと考へられます。もう一つこの中で召誥・洛誥が餘程古からうといふ證據としては、洛誥篇の組立てが餘程妙に出來て居りまして、一篇の最後に年月を書いて居ります。洛誥篇の最後に「惟周公誕保文武受命惟七年」と書いてありますが、その前に「在十有二月」と書いてあります。で、この召誥・洛誥といふ二篇は、これはその内容の意味は連續してゐる記事でありまして、これは殆ど同時に出來たといふことは内容からして疑ひのないものでありますが、その洛誥の末尾にかういふ紀年の書き方がしてあります。この紀年の書き方は、之を銅器の銘と比較して見ますと、銅器の銘の中でやはり最も古い書き方の所にこれがあるのであります。大盂鼎・小盂鼎といふ銅器がありまして、これは今日に遺つて居る銅器の中で、最も製作も立派なもので、さうしてその銘の内容も餘程淳古なものとなつて居るのでありますが、その銅器の紀年のし方は、大盂鼎の方にはやはり最後に年を書いて居りまして、さうして「隹(惟)王廿又三祀」とあります。それから小盂鼎の方は「隹王廿又五祀」とあります、これが最後にあります。その外私は當時之を調べました頃に※[#「てへん+(鹿/禾)」、読みは「くん」、454−15]古録金文などに當つて見たのでありますが、※[#「てへん+(鹿/禾)」、読みは「くん」、454−15]古録金文に出て居ります銅器では※[#「舟+余」、読みは「よ」、第4水準2−85−73]尊、これがやはり最後に歳月が出て居ります。これが餘程變な書き方をして居りまして、「隹王十祀有五※[#「三/二」、454−17]日」、かういふ紀年の書き方をして居ります。それからもう一つは庚申父丁角としてありますが、これは多分今住友家に來て居るのでないかと考へます。或は宰※[#「木+虎」、読みは「こう」、第4水準2−15−6]角とも申します。これには「在六月隹王廿祀」とあります。それからやはり※[#「てへん+(鹿/禾)」、読みは「くん」、455−1]古録金文に戊辰彝といふものがありまして、これには「在十月隹王廿祀」とあります。それからもう一つは最近の郭沫若氏の金文辭大系に出て居りますので※[#「そうにょう+異」、読みは「ちょく」、455−2
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