於是乎始有金石之樂。[#ここから割り注]襄十一年[#割り注終わり]始用人于亳社[#ここから割り注]昭十年[#割り注終わり]魯於是始尚羔。[#ここから割り注]定八年[#割り注終わり]亦記禮之始變也。
尚ほ困學紀聞は翁元圻注本によりて看るを便とすべし。
[#ここで字下げ終わり]
(6)困學紀聞卷六に云く
[#ここから3字下げ]
禮樂自天子出。而獻六羽焉。非天子不制度。而税畝焉。故皆書曰初。
と。之に就ては公羊傳の隱公五年初獻六羽の條及び左傳の宣公十五年初税畝の條を參攷すべし。
[#ここで字下げ終わり]
(7)同書同卷に云く
[#ここから3字下げ]
猶秉周禮。[#ここから割り注]閔元年[#割り注終わり]齊猶有禮。[#ここから割り注]僖三十三年[#割り注終わり]觀猶之一字。則禮廢久矣。
と、之に就ては左傳の上に掲げたる年の紀事を參照すべし。
[#ここで字下げ終わり]
(8)述學内篇卷二、左傳春秋釋疑の文を參照すべし。
(9)朱子語類卷八十三に云く
[#ここから3字下げ]
問。左傳載卜筮。有能先知數世後事。有此理否。曰此恐不然。只當時子孫欲僭竊。故爲此以欺上罔下爾。如漢高帝蛇。也只是脱空。陳勝王凡六月。便只是他做不成。故人以爲非。高帝做得成。故人以爲符瑞。
[#この行2字下げ]又云く
[#ここから3字下げ]
左傳是後來人做。爲見陳氏有齊。所以言八世之後。莫之與京。見三家分晉。所以言公侯子孫。必復其始。以三傳言之。左氏是史學。公穀是經學。
[#この行2字下げ]困學紀聞卷六に云く
[#ここから3字下げ]
八世之後。莫之與京。[#ここから割り注]莊二十二年[#割り注終わり]其田氏簒齊之後之言乎。公侯子孫。必復其始。[#ここから割り注]閔元年[#割り注終わり]其三卿分晉之後之言乎。其處者爲劉氏。[#ここから割り注]文十三年[#割り注終わり]其漢儒欲立左氏者所附益乎。皆非左氏之舊也。
[#ここで字下げ終わり]
(10)孟子離婁章句下、王者迹熄而詩亡の章、及び公羊傳昭公十二年の條を參看すべし。
(11)公羊傳宣公十五年、初税畝の條、孟子告子章句下、白圭曰吾欲二十而取一何如の章を參看すべし。



底本:「内藤湖南全集 第十一巻」筑摩書房
   1969(昭和44)年11月30日発行
   1976(昭和51)年10月10日第2刷
底本の親本:「支那史學史」京都大学支那史学史講義
   未
前へ 次へ
全19ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング