かになると、學術の根源も分り、學術の傳來も分り、昔ない本で新らしく本のあるものは新らしく出來た學問であることも分る。これは皆分類法の效能であるとする。
彼は又目録は必ず亡書を記すべきだといふ。これは亡くなつた本を書いておくと、一時亡くなつた本も或は搜し出すことが出來るからである。昔の劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の七略・漢書藝文志、その後六朝までの目録にも、すべて亡書を書いてあると云つてゐるが、彼が六朝の目録を見たかどうかは疑はしく、隋書經籍志に梁以來の亡書を擧げてあるのから推したのであらう。唐からは有る本だけを書き、亡くなつた本を書かぬ。崇文總目にも亡書は書いてない。それ故、亡書はますます搜すことが困難となる。昔は亡くなつた本だけの目録を作つた。魏に闕書目あり、唐に搜訪圖書目あり、かかるものを作ると本が段々出て來る。自分の藝文略は、古今の有無いづれの本をも書いた。ともかく崇文總目はかういふ點が最も惡いと云つてゐる。これは目録學の根本の議論からかく云つてゐるのである。
又書籍に名は亡びて實の亡びざるものあることを論じてゐる。本はなくなつたといふが、その實が他の本に含ま
前へ
次へ
全111ページ中75ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング