目は大體に於て唐の開元四部録の體裁によつたと云はれる。開元四部録が今日見られない以上、唐宋時代の目録の分類法は、崇文總目によつて見るのが捷徑である。この唐宋の間に、隋志の分類の子目が多少變化した。史部の中では、隋史で古史と云つたのは、舊唐書經籍志以後は皆編年と云ひ、部類の本質を現はすに至つた。新唐書藝文志並びに崇文總目より、實録といふ部門が出來た。その代り起居注などといふ種類がなくなつて來た。單なる起居注では非常に量が多くなるところから、唐頃より後には、之を編纂したものが現はれた。それで新唐書藝文志では、起居注類の中の小分けとして實録が入つてゐるが、崇文總目になると、實録の部を設けたが、起居注は全く省かれてゐる。しかし全く起居注の類がなくなつたのではなく、後の目録には復活したものもある。新らしい記録の仕方が出來ると共に、新らしい部目の出來ることが分る。六朝から唐の間に、氏族に關する系譜類が多く出來た爲め、隋書經籍志には譜系があり、舊唐書經籍志・新唐書藝文志には譜牒類があつたが、崇文總目では氏族部とした。又從來は年中行事のやうな種類のものは大體、朝廷に關するものが主で、それらは儀注類か故
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