目録學としては、本の名前をはつきりと書き、分類を精密にすればそれでよいといふ議論である。勿論崇文總目に書籍の一一の解題があつたとしても、到底それは七略別録の如く、著者の意志をうまく酌み取り、その學派の所屬を明かにし、分類の方法と相應じて批判的な目録を作るといふほど立派なものではあり得ないに相違ない。鄭樵の苛酷な批評も必ずしも全然當らずとは云ひ難いが、しかし後世の本には、書名によつて内容の如何を十分に知り難いものが往々にあり、多少とも解題のある方が目録として望ましいことである。目録の學問としては勿論七略別録などと對立するほど立派なものではないに違ひないが、幾分か目録學の意味を殘さうと試みた本であるには相違ない。これが全く略本だけ殘り、もとの足本がなくなつたのは遺憾なことであるが、かくなつたのは、鄭樵の議論の影響で、書名のみが殘り本文は削られたのであらうといふ人もあるが、これは然らずといふ説の方が確かのやうである。ともかく歐陽修の文集その他から、この大切な宋代の目録を、いくらかでも復原し得ることは、目録學の沿革を知る上には幸ひである。
唐宋間に於ける子目の變化
崇文總
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