て書いた書籍集散の沿革も、舊唐書よりは粗略であり、又その目録は、舊唐書經籍志が開元までの本より著録してゐないといふので、その後の本を舊唐志に増入したが、その増入をするについては、何等の據り所を示さず、何處にあつた本かも明かならず、新唐志の作者が見たかどうかも確かでない。舊唐志に著録した本がどれだけ、著録しなかつた本がどれだけと書いてあるだけで、實際に左樣の本があつたのか否かも判然しない。この新唐書藝文志に至つて、目録學はますます墮落し、何もあてにならぬ目録となつた。この時までは、目録學が非常に惡くなつた時代である。もつとも新唐志とても全く據り所なしには増入する譯はないから、何か據る所があつたのであらう。今日から考へると、その如何なるものに據つたかを書かなかつたのが、この藝文志の大缺點である。それまでの目録は、すべて何處にあつたどういふ目録といふことを斷つてあるが、ここに至つて之を斷ることがなくなつた。これは歴史編纂上よりも、又目録學の上からも、著しい退歩である。この後、又次第に目録學復興の傾向が現はれた。

       崇文總目

 前述の如く、正史に載せられた目録は、新唐書藝文志に
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