ある。二劉以前に、すでに司馬談・司馬遷父子は、太史の官にあつて、朝廷に集まるあらゆる書籍を總覽することができた。故に史記の太史公自序によると、司馬談がすでに六家の要指を論じたことが記されてゐる。六家といふのは、陰陽家・儒家・墨家・法家・名家・道家のことであるが、談は元來、道家を學んだ人で、六家を論ずる上に於て、道家を最も偉いものとした――これによつて、司馬遷も亦同じく道家を尊んだやうに云ふのは誤りである。――この六家要指になると、大分二劉の學問に類似してゐるが、その違ふところは、司馬談の考へ方でも、單に六家の長短を論ずるのが主で、その善い所はどうしても捨てられず、その弊害は考へねばならぬといふ風の考へ方であつて、まだこれには、六家を歴史的に考へるといふ考へ方はない。然るに二劉の學問は、この各派の流別を論ずる上に於て、一一歴史的の意味を附した點が異るのである。

       劉向校書の由來とその方法

 劉向・劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]が目録を編纂するに至つた由來は、漢書藝文志に大體記されてゐる。藝文志の云ふところによると、――向・※[#「音+欠」、第3水準1−86−
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