、目録學そのものには大した意義はない。
舊唐書經籍志の退歩
舊唐書經籍志に至つて、目録の學は又一段の退歩をした。この經籍志には、各部門の總論もなく、各子目の總説もなく、單に隋志以後唐代の書籍の集散に關する全體の總論があるのみである。各部門の書籍の傳來、學問の傳來を知るべき材料は全くなくなつた。經籍志とは云へ、單なる簿録に止まり、學問の流別、沿革を知るものとはならず、目録ではあるが目録學とはならぬものになつてしまつた。その總序によると、この書の根據としたところは、玄宗の開元年間に政府の書庫に集められた書籍の目録である。この開元の時の目録作製に關係したものには學者が多いが、その主なる一人に毋※[#「(日+巨)/火」、405−7]がある。この時出來た目録は群書四部録と云つて二百卷あつた。それを毋※[#「(日+巨)/火」、405−7]が省略して古今書録四十卷とした。その後、書籍は散佚し、唐の文宗の時にまた集められたが、再び散佚した。舊唐書經籍志は五代の時に出來たが、五代の現在の書籍には關係なく、開元の盛時、毋※[#「(日+巨)/火」、405−9]の作つた古今書録によつて出來
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