を分けたところがある。即ちこの書の第一篇に六家篇があり、尚書家・春秋家・左傳家・國語家・史記家・漢書家に分けた。この時は既に隋書經籍志もあり、七録もあり、色々の目録に關する本があり、大體史部の分け方はほぼ一定してゐたが、劉知幾は自己の考へで別な分類法を考へたのである。これは書籍の内容よりは、歴史を編纂する主義の如何よりして分類したものである。内容よりの分類は隋志で十分であるが、彼は歴史の本質を考へ、その主義を見たのである。たとへば、尚書家は或る一つの事件によつて記録する書き方を云ふ、春秋かは、一方には編年體を用ひながら、一方には褒貶の意を以て書いたもので、後に史記は本紀をこの體裁によつて書いた。この後、國史を作るものは、本紀はすべて春秋の體裁によつた。尚書と春秋とを比すれば、尚書は記言、春秋は記事である。――尚書中にも記事に關するものもあるが――後世これによつて、春秋の體裁のものを作り、又尚書と名づけるものを作つたものがあるが、多くはその本來の意味を失つてゐることを云つてゐる。左傳家も編年體であつて、これがむしろ後世編年の正體とされた。春秋の如く褒貶することは後世用ひられず、左傳の如く
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