。
(二)記傳録 但し※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]も儉も史書を春秋に附してゐるが、※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の時代は史書が少なかつたから春秋に附したのは良い例であるけれども、今は衆家の記傳は經典に倍するほどあり、しかも猶ほ王儉に從つてこれらを經典に入れては、多過ぎて蕪雜になるとて、經典より史傳に關するものを拔いた。さうして、かかることをしても差支ない例として、七略の詩賦は別に一部類をなして、六藝の詩部に入つてゐないが、これは當時詩賦の數が多かつたので一部類を立てたのであるから、その例によつて、多くの史書を經典部より分つて記傳録とした。
(三)子兵録 諸子部は※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]も儉も同じく諸子と稱した。然るに※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]には別に兵書略がある。これを王儉は、兵の字が淺薄で、軍の字の方が意味が深廣であるとして、改めて軍書志とした。然るにこれは王儉の考へが必ずしもよくはなく、古より兵の字の用ひ方廣く、武事の總名となつてゐるから、やはり軍と云はず兵といふ方がよい。しかし兵書は數が少い。一部門を立てることは不都合で
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