ら、史通の説が正しいやうである。かくの如く、ともかく定本を作る際に、名前をも變へたことがあるのである。
(六)謹編次 劉向が編次を謹んだことは、戰國策を編次した時のことを書いてゐるのでも分る。元來この書は國別けになつてゐて、時代の順序はなかつたのであらう。それを向が時代順に編成し變へたのである。又晏子の編成の仕方を見ると、その中、道理の正しいもので、晏子の書全體を通じて筋道の立つたものを集めて、これを内篇とし、その外、晏子の言ではなく、後人の傅會と思はれるが、ともかく晏子の中にあつたものを別の部類として一括してある。かく色々に部類分けをしたのも向の一つの仕事である。この部類分けは、又目録學に關係することで、向などは管子を道家に入れ、晏子を儒家に入れたが、――或は管子はもと法家に入れたといふ説がある――かく何家何家といふ風に分けることは、つまり目録を分類する人の見識であり、目録の學としては、之を最も重しとする。今日ある本でも、どうかすると編次の誤まつてゐるらしいものがある。例へば韓非子であるが、韓非子は韓の國の公子で、韓を立てる考のあつたことは明かであり、韓非子の中に存韓篇があるが、今日
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