書籍に目録のない時分からのことを理論的に考へた。最初は學問は官の職務に附いたもので、官職の關係上、教へる人があり學ぶ人があつても、私の著述はない。私の著述がなければ、書籍は單に官職に從つて保存されるだけで、書籍を一箇所に纏めて目録を作る方法がない筈である。この目録の學といふものは、一家の著述といふものが出來るやうになつてからのことである。それは官が職を失つて、各※[#二の字点、1−2−22]一家の學問になつたところから、色々の派の學問に區別が生じ、根本の經書は經書、各※[#二の字点、1−2−22]分れた諸子百家は諸子百家といふ風に分れるところから目録の必要が出て來る。劉向・劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]、殊に※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]が七略を作つたといふのは、即ちそのあらゆる書籍の流別を調べる上から出て來た。そして七略が後に段々四部になつて來たが、これも自然の勢であつて、四部になつたものを、もとの七略に復すことは出來ない。この復されぬ理由として、歴史の部が大變數が多くなつたこと、諸子が段々古いものが衰へたこと、文集が盛になつて來て、それは諸子の如く學派を區
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