は所謂箋疏の學問で、漢人師法の學問について、その意義を鮮明にするに努めたが、經書を分剖解析すると云ふ樣なことは一向なかつたのである。尤も漢代には特出せる評論家があつた。それは有名なる劉向、其の子※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の二人である。劉向は漢の王孫で、現今存在して居る漢以前の古典と云ふ者は大抵向※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]父子の校訂に成つたものである。處が向※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]父子の歿後はこの評論家と云ふ者が絶えてしまつた。
 唐人に至りて始めて經典に疑問を挾むの風が起り、宋に至つて盛んになつた。殊に朱子の一派の人などに至りては、經典の改竄までも敢てする樣になつたのである。勿論その頃の研究は、まだ學問の組織が十分に發達して居なかつた爲めに、その改竄といふものも常識で判斷して居る丈のことで、尚書に補訂をしても、其他禮記の改竄などに至りても、殆んど古本と面目を改める樣になつたが、その改竄の理由は何等の根據があつた爲めでなく、單に常識に訴へて、古書の意味を成さないと思つた處を武斷的に刪補したが、併しその反動の結果として、清朝の漢學派を生ずる
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