獻することも少なくないだらうと思ふ。
 是の如き研究法は勿論一朝一夕には出來ないのみならず、如何に聰明な人でも、一人や二人の手で出來ることでないが、要するに、研究の方法も定めず、單に部分的の考證を事として居ては、いつまでたつても、信用するに足る結論を得ることが出來ない。殊に今日は清人の如く經書を限界として、それ以上に疑問を挾むものを罪惡とする樣な考へが必要でない。尤も方針のない研究法で、妄りに古書を疑ふのでは何等の利益もないが、少なくとも以上の樣な方針を立てゝ進んで行くならば、研究に多少の確實味を加へ得ると信ずる。然う云ふ方法にして始めて支那古典學の基礎が立ち、古代史の研究も出來るのである。
 これ等の事業は今日に於いては、支那の學者よりも寧ろ日本の學者が着手する方が、自由な便宜があると思ふので、余は同志の人々とさう云ふ方向に進んで行きたいと思ふのである、(口授筆記)
[#地から1字上げ](大正六年二月發行「東方時論」第二卷第二號)



底本:「内藤湖南全集 第七卷」筑摩書房
   1970(昭和45)年2月25日発行
   1976(昭和51)年10月10日第2刷
底本の親本:「研幾小録」弘文堂
   1928(昭和3)年4月発行
初出:「東方時論 第二卷第二號」
   1917(大正6)年2月発行
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
2001年9月21日公開
2006年1月17日修正
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