藝文志に依つて見ると、一部類一部類に、例へば經書の中の易の所には易の總論があり、皆それ/″\總論がある。其の總論といふものは、其の書の由つて來る所を詳しく論じて、かういふ種類の著述、道家なり儒家なり兵家なり名家なりといふものは、長所が何處にあつて、短所が何處にあるといふことを、必ず一々批評して居る。それが即ち六略でありますが、其の外に輯略といふ一つの總評がある譯であります。總評といふものはどうなりましたか分りませぬ。しかし六略には皆一つ一つに目録を擧げて、さういふ風な部類分けの總論をして居りますけれども、それを又一部一部の著述にも皆してあるのであります。劉向の書きましたので、現在一部の書物の評論の遺つて居るのは、例へば戰國策とか列子とか晏子春秋とかに遺つて居ります。今申上げました三つのものは、體裁は皆一致しておりますが、最初に本の目録を擧げて、さうしてこれだけのものを調べて校正をして出したといふことを斷わつて、其の次に自分等は天子の御手許の本と外の本と參考して、これだけのものを定本として極めましたといふことを斷わつて、其の次に其の本の得失を論じて居ります。此の學はどういふ所から出來て來
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