ふものは劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]が本を調べた時に無くなつてしまつたかも知れませぬが、今日遺つて居るものでは、劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]以前の本は、何か自分に主義があつて書いたものであります。それで例へば史記といふやうな大部の本でありましても、これは勿論編纂した歴史でありますから、單にこれは古い本を編纂して、自分が文を書き變へでもして、さうして事柄を傳へる爲めにしたのであるかといふに、さういふ譯ではありませぬ。それは劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の七略の分け方に依つても明かに分ります。其の時には歴史はまだ目録の一科目を成して居りませぬ。今日でも漢書藝文志では史記は經書の一部分、即ち春秋の一部分に附いて居る。春秋の系統を追うて書いたものといふ意味であります。さうしてそれを書きました時は、一家言として、自分の一己の主張があつて書いたのであります。あれを見ると、どこそこは戰國策に出て居るとか、どこそこは國語に出て居るとかいふやうなことを纏めて出したやうに見えますが、しかし其の全體の總論としては、太史公の自序といふものを作つて置きま
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