ふものは劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]が本を調べた時に無くなつてしまつたかも知れませぬが、今日遺つて居るものでは、劉向、劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]以前の本は、何か自分に主義があつて書いたものであります。それで例へば史記といふやうな大部の本でありましても、これは勿論編纂した歴史でありますから、單にこれは古い本を編纂して、自分が文を書き變へでもして、さうして事柄を傳へる爲めにしたのであるかといふに、さういふ譯ではありませぬ。それは劉※[#「音+欠」、第3水準1−86−32]の七略の分け方に依つても明かに分ります。其の時には歴史はまだ目録の一科目を成して居りませぬ。今日でも漢書藝文志では史記は經書の一部分、即ち春秋の一部分に附いて居る。春秋の系統を追うて書いたものといふ意味であります。さうしてそれを書きました時は、一家言として、自分の一己の主張があつて書いたのであります。あれを見ると、どこそこは戰國策に出て居るとか、どこそこは國語に出て居るとかいふやうなことを纏めて出したやうに見えますが、しかし其の全體の總論としては、太史公の自序といふものを作つて置きました。それから處々自分の編纂の趣意を現はして居ります。五帝本紀といふものを書くと、此の材料はどういふ採り方をした、どういふ種類の材料は信用が出來るといふやうなことを明かに斷わつて居る。尤も骨を折つたのは表と八書でありまして、此等は自分に見識があり、主張があつて、それによつて書いたのであります。それで其の外の本紀とか世家とか列傳とかいふものでも、其の事實を書きました間に、自分の議論をも見はして居りますが、しかしこれ等は多くは編纂の方法に於て趣意を見はして居ります。それでつまり史記全體が自分の一家の著述であつて、單に昔の事實を集めたといふ趣意ではないのであります。あれを書けば、昔の孔子以來の諸子などが本を著はしたと同樣な位置に坐るものであるといふ考で書いたものであります。これは一つの例でありますが、凡ての人が本を書くのに、さういふ意味で書いて居ります。
 しかしこれも言はゞ漢の頃からの一つの變遷でありまして、其の前の本の書き方は少し違ふのであります。其の前の書き方は、必要に應じた自分の職務々々の記録であります。それが段々變遷して、戰亂の爲に官職といふものが無くなると、昔其の官職に在つて、今
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