ことを掌ると書いてあります、王の直の領分以外の命令に關することを掌る、それから三皇五帝の書を掌る、即ち周代にも自分の王朝の時の記録でなしにその以前の王朝のことを掌るのは外史が掌ることになつて居る、又周の王朝に使つて居る文字が一般に普及するやうに、諸侯の國々によつて文字の使方が違はないやうにする爲に文字を四方に達するやうなことを掌る、それから亦書いた物を持つて四方に使ひする時其の文を書く、昔は口上の使者もあり文書を持て行く使者もあります、文書を持つて行く使者の時に其の文書を書くといふのが外史の職務であります。
其次に御史であります、御史は邦國都鄙及び萬民を治むることを掌ると云ふことを書いてありまして、これは周の時の冢宰の副官になるのだと云ふことを書いてあります。大體然ういふ風なことで五つの種類の史の職務がありますが、其外に周禮では各々の官に皆府史胥徒と申す者があります、此際の史といふものは今日の書記官、書記といふやうな事柄でありまして、何でも物を書くやうなものを史と申しました。其れだけが周禮に在る史の職務の大體でありますが、併し前にも申しました如く、周禮と云ふ本は殊に古書の中で眞僞の議論の喧ましいものであります、或種類の學者、殊に近年支那で最新の經學をやる人には周禮といふものは僞書といふ説が大分多いのであります、亦周禮を信用する人もあります、一體周禮の中の何處迄信用が出來て何處まで信用が出來ぬと云ふことは、專門の學者の難かしいことになつて居ります、で吾々は專門家でもありませぬから、其の判斷をすることが餘程困難でありますが、併し今日に於いて吾々が周禮の中で何處までが安全で信ずることが出來るかと云ふことをきめる可き標準が無いではありませぬ。
それは今申上げた通り周禮を信ずる學派と信じない學派と二つあります、支那ではそれを古文學派、今文學派と申します、周禮を信ずる學派を古文學派と申し、周禮を信じない學派を今文學派と申します、それ故に簡短に申せば二通りに分れて居る、それで其の古文、今文といふ由來まで申しますと長くなりますが、大體秦が書を焚きまして漢で學問が興りました、最初に興りましたのが今文學で、秦漢以前に行はれた古い文字は漢代の人には大分讀みにくゝなつて居る、漢の時に通用して居りました文字は今日で申せば隸書でありますが、其の讀みにくい古文をその當時通用の文字に改めた書が
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