考の反證になるものである。而して又山海經と禹貢との出來た時代も殆ど大差がないといふことが、それに依つて考へ得られるのである。
次の末の方の釋草釋木釋蟲以下の各篇は、即ち論語に詩を學べば多く鳥獸草木の名を知ると言つてある實證ともいふべきもので、大體は詩の解釋であると視て差支ないのである。或は今日の詩に見えない物名があつても、それを以て直に詩以外のものゝ解釋と速斷することは出來ない。三家詩の佚亡した今日に於て、昔詩の本文に今の毛詩と何れだけ異同があつたかを十分に知ることが出來ぬのみならず、その上それらの物名の解釋には、詩の本文にあるものゝみではなく、詩傳に見えたものゝ解釋をも含んでゐるかも知れない。經書の始めて世に出た頃には、之を傳ふる各家は其傳と共に出したので、爾雅が之に對する解釋も、經傳を嚴密に分けて考へないといふことを知らねばならぬ。これは春秋の傳などに於ても同樣である。但詩の外に楚辭の解釋を含んでゐることは爭はれぬ事實である。恐らく楚辭の學は漢初に於て殆ど經書の研究と同樣に盛であつたので、自然その解釋が爾雅の中に入つたのであらうと思ふ。
最後に問題となるのは釋獸釋畜の二篇であつて、其の成立に就いては疑問がある。元來釋獸の中には既に釋畜に屬すべきものを含んでゐる。即ち豕子豬より牝※[#「豕+巴」、34−17]に至る部分の如きはそれである。然るに釋獸の後に釋畜一篇があつて、特別に六畜に關することなどを釋してゐるのは、或は此の二篇が二度に時代を異にして出來たのではないかと考へられる。※[#「赤+おおざと」、第3水準1−92−70]懿行も其の豕が六畜の一で、釋獸の中に在るのは誤つて置かれたものとしてあるが、寧ろ二度に出來た爲と看る方がよいと思ふ。或は釋草より釋獸に至る各篇は元來詩其他の古書の解釋として先づ出來てゐたのに對し、釋畜だけが後から附益せられたものと疑ふことも出來るのである。釋畜篇の末の部分は殊に易の説卦傳と關係があるらしく思はれる所がある。説卦傳には、兌を羊とし、艮を狗とし、巽を※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]とすることが見えてゐるが、釋畜の最後にそれらのものが一所に列んで擧げられてゐる。このことは邵晉涵も※[#「赤+おおざと」、第3水準1−92−70]懿行も已に注意して居る所である。それから同じく説卦傳に乾爲駁馬、震爲※[#「馬/廾」、35−6]足、爲的※[#「桑+頁」、第3水準1−94−2]、とある。これらは餘り他書に見えない名であるが、釋畜の馬屬の中に含まれてゐる。即ち駮如馬とか、膝上皆白惟※[#「(馬−れんが)/廾」、35−7]とか、(後)左(足)白※[#「(馬−れんが)/廾」、35−7]とか、※[#「馬+勺」、35−7]※[#「桑+頁」、第3水準1−94−2]白顛とかあるので、其中駮は山海經にも出で、※[#「(馬−れんが)/廾」、35−8]は詩にも出て居るが※[#「馬+勺」、35−8]※[#「桑+頁」、第3水準1−94−2]は易のみに限られて居る。[#著者所蔵の「研幾小録」の欄外には、「秦風車鄰有馬白顛傳白顛的※[#「桑+頁」、第3水準1−94−2]也」といふ著者の書き込みがある。]又釋畜に馬八尺爲※[#「馬+戎」、35−9]といへるに對し、郭璞は周禮を引いて之に注してゐるが、周禮には※[#「馬+戎」、35−9]の字が龍になつてゐる。そこで※[#「赤+おおざと」、第3水準1−92−70]懿行の考に依れば、説文※[#「馬+來」、35−10]字下云、馬八尺爲龍、月令駕蒼龍、注馬八尺以上爲龍、淮南時則篇注引周禮、及後漢書注引爾雅、亦倶作龍、郭引作※[#「馬+戎」、35−11]者、欲明此※[#「馬+戎」、35−11]與彼龍二者相當、因改龍爲※[#「馬+戎」、35−11]、非周禮舊文也、といつて居る。この龍も易に最も屡々用ゐられる龍の字の解釋で、説卦傳では震爲龍とある龍のことであるかも知れない。これらから考へてみると、易の説卦傳と爾雅の釋畜篇とは關係があつて、易が經書として認められる頃の時期が、即ち爾雅の編纂の完成せられる頃であつたらうといふことになるのである。若しそれが漢の初め頃とすれば、即ち易の方では田何、爾雅の方では沛郡の梁文の頃となり得るのである。
以上述べた所を總括すると、爾雅の中でも釋詁篇は七十子を距ること遠からざる時代、若しくは七十子の末年に出來、其後戰國の初め頃までの間に種々附益せられたものと考へ得る。釋言篇は七十子の次に來る時代、即ち孔子を素王とする時代に出來て、稷下の學問の盛なりし頃までに附益せられたものである。釋訓篇は尤も多く種々な時代を含んでゐて、釋言篇と大體同じ頃から漢初までに亙つて附益せられて來たらしい。釋親以下釋天に至る各篇は、公羊春秋が發達して禮學の盛に起つた時代、即ち荀子の前後から漢の后蒼高堂生の頃までの間に出來、釋地以下釋水に至る各篇は矢張り戰國の末から漢初までに成り、釋草より釋獸に至る各篇は、或は詩の解釋としては古い時代から存在してゐたかも知れないが、先づ漢初までに成り、最後に釋畜篇が漢の文景の頃に出來たのではないかといふ考である。但それは爾雅そのものゝ成立の沿革であつて、これから推測される所の經籍の世に出た次第を云へば、書の周公に關する部分、それに詩の風雅并に周頌魯頌あたりまでは爾雅の釋詁篇の古く出來た部分に依つて解釋されるやうになつて居り、書の洪範其他殷に關する部分、及び詩の商頌などは釋言篇の古く出來た部分に依つて解釋されるやうになつて居り、書の唐虞に關する部分、及び春秋公羊傳の基礎になつた部分は、釋詁篇、釋訓篇などの附益せられた部分に依つて解釋されるやうになつてゐる。これらは經書の中で尤も早く出來たものと看做し得るのである。勿論其の間に多少の早晩はあるが、先づ孟子の頃位までの間に出來たものといつてよからうと思ふ。余の考では、公羊傳の如きは春秋の傳ではあるが、これには史學といふ觀念があるのではない。其點は穀梁傳も同樣で、春秋に史學らしい觀念の出來たのは左傳から始まつてゐる。公羊傳はいはゞ春秋を禮で解釋したもので、公羊春秋が盛になつた後には、次いで禮の學問が發達してくるのが當然であるやうである。爾雅にも其の徴候が見はれてゐて、釋親篇以下が禮の解釋となつてゐる。それから其他に戰國の末年から地理の學問などが特別に起つて、書の禹貢、周禮の職方氏、山海經などの如きものが出來上つたのであるが、それに對して爾雅では釋地篇より釋水篇に至る諸篇がある。釋草篇から以下の各篇に就いては、其の出來た年代を的確に考へ得られない。尤も詩に關したものが多いけれども釋詁篇や釋訓篇の時代とは確に違ふやうで、矢張り揚雄の方言の如く、支那の文化や言語が多種多樣になつた結果として、名物が中國の言語のみでは一般に通用し難くなつた所から、これらの諸篇を作る必要が起つたものと考へられるのである。さうしたならば恐らく戰國の末年の頃のものかと思はれる。それから最後の釋畜篇はそれよりも以下の時代に出來たものらしい痕跡が明かに見えるのに、それが易の説卦と關係のあることを考へると、易が經書に列せられたのは最も晩く、章學誠が易は田何の時に始めて竹帛に入つたといつてゐるのが、必しも誤ではないと思はれるのである。
さて余は前に尚書の編成を考へて、單に時代思想の上から、即ち單に經書に含まれてゐる思想の上から演繹して、其發展すべき自然の順序に依り、尚書の各篇の出來た次第に就いて説明を試みた。而して其の方法を應用すれば、勿論他の經書にも類似した説明が出來得ると信じてゐたのである。然し其の方法は單に論理的に考へてゆくばかりで實證を伴はないものであつたから、他の經書までも其の方法を應用することは餘程複雜な手數を要するものなることを知つた。故に今度は其の方法を一變して諸經の辭書と考へられる爾雅を基礎として、其の實證となるべき部分を拾出し、爾雅の成立に併せて經書の發展する次第を考へてみたのである。この方法も附益、竄入、訛誤などの澤山積重つてゐる古書を取扱ふ方法としては、勿論之に依つて隅から隅まで動かないやうな研究を遂げることは困難であるが、大體の徑路を此の方法に依つて考へるならば、古書の研究に一道の光明を與へ得られないとも限られない。これ余が妄斷の誹を甘んじて受ける覺悟で斯くの如き試みを敢てした所以である。
[#地から1字上げ](大正十年九月、十月「支那學」第二卷第一號、第二號)
自注
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(一)朔北方也は尚書大傳の堯典に北方者何也伏方也と關係があり、曁不及也の句には郭注に公羊傳の隱公元年の文を引て解釋して居る。
[#ここで字下げ終わり]
底本:「内藤湖南全集 第七卷」筑摩書房
1970(昭和45)年2月25日発行
1976(昭和51)年10月10日第2刷
底本の親本:「研幾小録」弘文堂
1928(昭和3)年4月発行
初出:「支那學 第二卷第一號、第二號」
1921(大正10)年9、10月発行
※底本の、異体字と思われる「馬/廾」と「(馬−れんが)/廾」の混在は、ママとした。
※本ファイル中に現れる「著者の書き込み」は、底本の親本である「研幾小録」の校本として著者が手許に置いていたものの欄外に、書き入れられていたものである。底本には、編集に当たられた内藤乾吉によって、当該箇所に挿入された。
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
2001年9月21日公開
2006年1月17日修正
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