注]孔傳其惟王居位在徳之首[#ここで割り注終わり]」といふ著者の書き込みがある。]※[#「形」の「彡」に代えて「おおざと」、第3水準1−92−63]疏には易の文言の元者善之長也を引いて居り、又邵晉涵の爾雅正義には呂氏春秋造類篇に元者吉之始也とあるのを擧げ、又た説苑奉使篇に史黯曰元者吉之始也を引いてあるが、この造類は召類の誤りであるらしく、召類篇には史黯を史默に作つてあるが、是れはいづれも易の渙卦の爻辭によつて説を爲したもので、文言を引いたのと同意義である。易の經に列したのは春秋より先だとも考へられないから茲に問題としない。それで以上の證據から次の如き疑問を發することが出來る。即ち爾雅の釋詁が最初に製作せられた時には未だ春秋は製作せられてゐなかつたのではないかといふことである。少くとも爾雅の如き辭書に、春秋の書中の文字を解釋する程までには未だ世に行はれてゐなかつたといふことを考へ得るではなからうか。
 次に又尤も重大な疑問とすべきことは、※[#「赤+おおざと」、第3水準1−92−70]氏の言へる如く釋詁も釋言も共に終也を以て終るべき筈であるのに、釋詁が終也を以て終らないで其の次に崩薨無禄
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