、又疑ない所である。このことは既に※[#「赤+おおざと」、第3水準1−92−70]懿行の爾雅義疏に注意して次の如く述べてゐる。即ち釋詁篇は始也より以下終也より以上、皆古言を擧げて釋するに今語を以てしたものである。又釋言篇は上篇即ち釋詁篇が首に始を言ひ末に終を言へるに對して、首に中を言ひ亦末に終を言ふ、蓋し中を以て始終の義を統べ而して上下の詞を包んだものであるといふのである。これに據れば釋詁篇が初めより一定の體裁で作られ、釋言篇もそれに倣つて作られたものたることは、※[#「赤+おおざと」、第3水準1−92−70]懿行も明らかに認めて居るのである。所が其體裁から考へて尤も疑問となるのは釋詁篇に於て殊に重複の多いことである。これに就いて※[#「赤+おおざと」、第3水準1−92−70]氏が文字重複、展轉相通、蓋有諸家増益、用廣異聞、釋言釋訓以下、亦猶是焉と言つてゐるのは確實であるが、郭註及び※[#「形」の「彡」に代えて「おおざと」、第3水準1−92−63]疏には此の重複を以て互訓であると考へ、例へば舒業順敍也、舒業順敍緒也といふのには、※[#「形」の「彡」に代えて「おおざと」、第3水準1−92
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