は全く釋詁と重複してゐるのである。次に釋言篇の如きに至つては全く釋詁の體裁に依つて別に作られたものであつて、編纂の方法にも何等新らしい考が見えてゐない。即ち前に釋詁があつたので、それに對して同じ體裁のものを作つて見たに過ぎないのである。釋訓篇の如きは又釋詁釋言の體裁を學んで、その上に當時既に行はれてゐた詩書、特に詩に對して特別に作られたやうなものである。其他釋親以下の各篇は大體に於て釋天篇と同じ體裁であつて、最初の爾雅が專ら動詞の解釋たるに對して、名詞の解釋を補つたものゝ如くに見える。※[#「形」の「彡」に代えて「おおざと」、第3水準1−92−63]疏にも
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其諸篇所次、舊無明解、或以爲有親必須宮室、宮室既備、事資器用、今謂不然、何則造物之始、莫先兩儀、而樂器居天地之先、豈天地乃樂器所資乎、蓋以先作者居前、増益者處後、作非一時、故題次無定例也。
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とあるは、其當を得たものと思ふ。要するに爾雅の最も古く、又最も完全な體裁を保つてゐるのは釋詁であるといつてよいのである。
さて爾雅の中で最も古い此の釋詁篇が、其の編次に最初から意義のあつたことは
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