書いたものであると云ふことを、假りに定めて見たのであります。黒板君の意見には、古くから策子の中に、橘逸勢の書いたものがあると傳へられて居るので、どれだけがそれであると云ふことを書いて居られる。それで黒板博士が逸勢の書いたものと極められたのは、私は矢張り大師の書であると見たのであります。かういふ風に一致しない所があるであらうと思ひます。是は實際のものに就いて當つて見ると面白い研究であつて、黒板君が書苑に書かれました議論に就いて、私は何時か自分の意見を發表する時機があると思ひますが、單に此處で愚見を申上げた所が餘り面白味のないものでありますから、さう云ふ事は他日私がさう云ふ事を申します機會がありました時に、御覽を願ひたいと思ひます。
 今日は前申上げた通り極めて一部分の事を申上げたに過ぎぬので、定めて御退屈のことであつたと思ひます。併し前にも申上げる通り、既に弘法大師に對する總論では、谷本博士の講演以來、段々研究が出來て居るのでありまして、私共の申上げるのはさう云ふ一部分の事しかありませぬから、已むを得ず斯樣な事を申上げた次第であります。御暑いにも拘はらず長い時間御辛抱なすつて御聽き下さつたことを感謝いたします。
[#地から1字上げ](明治四十五年六月十五日弘法大師降誕會講演)



底本:「内藤湖南全集 第九卷」筑摩書房
   1969(昭和44)年4月10日発行
   1976(昭和51)年10月10日第3刷
底本の親本:「増訂日本文化史研究」弘文堂
   1930(昭和5)年11月発行
初出:弘法大師降誕会講演
   1912(明治45)年6月15日
入力:はまなかひとし
校正:菅野朋子
2001年10月17日公開
2006年1月16日修正
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