それは今日どう云ふ所に價値があるかと云ふことを申して見ますと、今申しました詩の法、詩の調子、絶句なら絶句、律なら律、古詩なら古詩と云ふものは、是はどう云ふ風に作るべき法則のものか、それからしてどう云ふ所を間違ふと、是は詩の規則に嵌らぬものかと云ふことは、是は面白いことであります。それで今日に於て、唐の時並に唐以前の詩の法則を見ると云ふことになると、此の文鏡祕府論より外に、今では良い本が無いと云ふことになつて居ります。詰り詩と云ふものゝ沿革などを考へて見る、日本でも歌の沿革を考へて見る。今日でもいろ/\古い歌を詠む人もあり、新體の歌を詠む人もありますが、日本の歌が今日に至つた沿革を考へて見ると、萬葉集なら萬葉集の時代から、古今集とか、其の他三代集から段々今日に至つた由來を知る必要が出て來る。支那でも其の通りであつて、詩と云ふものが其の後も盛に行はれて居るが、唐の時の詩はどう云ふやうに出來て居つたか、唐の時の詩はどう云ふ規則で作つたのであるか、其の時の音律に合ふやうに出來て居つたのであるかと云ふことを、今日から之を知りますには、どうしても其の當時の人の詩の規則を書いたものを知らなければいけ
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