序文を書きますに就いても、其の事を明かに御斷りになつて居ります。弘法大師が御若い時に、其の當時京都に大學寮といふものがありまして、此處で勉強されたといふことでありますが、其の時分に伯父さんか何かに當ります阿刀某と云ふ人、其の他大學の諸博士に就いて漢文を勉強された。又其の後入唐をして居られる時に、さういふ事を注意されたと云ふことを御斷りになつて居ります。其の際に詰りいろ/\其の當時行はれて居つた詩文の法則の本を御覽になつたものと見えます。其の結果それを集めて皆んなの爲になるやうに、俗人でも坊さんでも、兎に角詩文を作るものゝ便になるやうに、一つの本を作つたら宜からうといふ考が出られたものと見えました。所が色々なものが澤山出ると、いろ/\本に依つて相違があり、又同じ所があり、隨分面倒である。本は非常に澤山にあるけれども、其の中肝腎のことは大層少ない。それで自分の病氣として、さういふものを見ると、其の儘打捨てゝ置いて、其の通り書くといふ氣にはなれぬので、兎に角いらぬ所は省いて、宜い所だけを殘して置く、即ち添削をしたいといふ考になつて、それで段々重複して居る所は削つて、重もなる肝腎の所を殘して、
前へ 次へ
全52ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング