を入れて、其の手を入れたまゝで行つて居る。西洋でも字引は次第々々手を入れて、最初著述した時の面目が無くなるほど手を入れて年々變つて行く。玉篇も、梁、陳の時に顧野王が之を著はしてから、段々手を入れて變つて行つた。唐の時にも變り、宋の時にも變り、宋の時には殊に出版と云ふことが行はれて、宋元の間に玉篇の版になつたものが何十種と云ふ程あります。段々増して行つたものでありますから、體裁が變つて居る。段々増して行つたことになつて居りますが、實は段々減つて行つて居る。字の數は増して居るが、解釋が減つて行つて居る。今日後漢以後、唐以前の六朝の時の字引を見ようとするには、玉篇は非常に大切なものでありますが、惜しいことには顧野王の玉篇の原本の六分の一程しか遺つて居らない。其の後の本は唐宋以後手を入れて、いろ/\まぜくり返したものであつて、六朝の其の儘の玉篇を見ると云ふことは出來ぬのであります。所が弘法大師の篆隸萬象名義と云ふもので、玉篇の眞相が窺はれるのであります。篆隸萬象名義は、字の順なり、數なり、聲の反しから、解釋から、一切顧野王の玉篇其の儘になつて居ります。唐宋以後に手を入れたと云ふものは一つも加は
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