ると、實際それが後になつて二卷と書いて居つても、前の本は一卷であつたと云ふことが分りますので、斯う云ふ事から目録を大切に致します。斯の如き相違がありますが、是は新唐書の藝文志にも載つて居り、又唐の才子傳と云ふ本にも載つて居ります。それで王昌齡の詩格と云ふものは、大師が當時賞讚されたのみならず、其の當時一般の人にも賞讚せられて居つたものであると云ふことが分ります。此の王昌齡の詩格と云ふものは、此の文鏡祕府論の中にも段々『王が曰く』と云ふことが書いてあります。此の祕府論の外には王昌齡の詩格と云ふものは何處にも引いてありませぬ。全く大師の文鏡祕府論に依つて、此の本はどう云ふものであつたと云ふことを想像するより外ありませぬ。
 其の次には皎然、此の人の著述は新唐書の藝文志には詩式が五卷、それから詩評が三卷あるとしてありますが、今日では矢張り是も殆ど大部分は皆無くなつて居ります。今日でも此の皎然の詩式と云ふものは、僅かに一部分殘つて居りますけれども、是は乾隆年間に出來た四庫全書總目提要の解題に依つて見ても、今日の詩式は其の當時の詩式の儘でないと云ふことが明かであつて、極めて殘缺した小部分の本であ
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