が、訐の字だけありませぬ。所で此の訐の字を筆法の術語として使つて居る人が其の外にあるかと云ふと、一人もありませぬ。所が妙なことには弘法大師だけが使つて居られるから不思議です。弘法大師の書訣、即ち執筆法使筆法と云ふ者の中に、斯う云ふことがあります。※[#「乙」の白抜き、86−6]斯う云ふものを書く時に、頭指で句し、大指で助けて末は停めて訐すとある。又※[#「弋」の第二画の白抜き、86−6]を書く時に大指、頭指(母指、人差指)の二つを掛けて、力のかぎり、引つ張つて勢を十分にして、留めて、而して後訐す。訐すと云ふのは詰り之を彈く。さうして機發の状の如くす。詰り機と云ふのは弩の機の外れる状のことであります。その外れるやうな勢ひでパツと撥ねるのだと云ふことを説明する所に『訐』の字を使つて居る。支那で書法をいろ/\説明した中には、この訐字を使つたのが、韓方明一人である。李後主はそれに代ふるに『掲』の字を使つて居る。即ち掲の字は同じ意味だからと云ふので使つて居る。けれども『訐』の字を書いたのは支那には韓方明の外ありませぬ。所が大師は同じ字を使つて居る。さうして見ると今日の所では『訐』の字一字で證明するのでありますが、大師の筆法は韓方明の筆法を受け繼がれたのであると云ふことは、是れで證據立てることが出來ます。それから單苞とか雙苞とか云ふことは、重んじないことはないのですが、蘇東坡のやうな普通の人の使はない筆法で、隨分立派な字を書くのでありますから、其の人の考へ次第で、いろ/\なやり方をしたもので、大師の方では執筆法使筆法と云つて持ち方使ひ方と云うて、韓方明から傳へられたのは、筆を使ふ法に遺つて居ると思ふのであります。それから今申しました※[#「てへん+厭」、86−17]、鉤、送と云ふ三つの韓方明が使つた術語を大師が使つて居られるか、又は『訐』の字だけを使つて居つて、其の外のものを使つて居られぬでは疑ひを存せねばならぬのでありますが、それはどうかと云ふと、皆明かに此等の術語を使つて居られます。『※[#「てへん+厭」、87−1]』の字は眞先に使筆法の一箇條に使つて居る。それから『鉤』の字は今申しました『訐』の字を使つてある前の箇條に使つて居る。さう云ふやうな譯であつて『送』と云ふ字は其代りになるやうな字を使つてある。『送』と云ふ字を明かに使つては居らぬが、兎に角韓方明の使つた四つの術語
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